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HOME > 英語とアスリート達 > vol.12-2 澤穂希

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Athletes and English 英語とアスリート達

Homare Sawa 澤穂希
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vol.12-2 | vol.12-1(前回の記事)

 あこがれのアメリカでの選手生活を送ったのち、帰国してからは、日本の女子サッカーをリードする選手として、国際試合で活躍し続ける澤穂希。夢を次々とかなえていく彼女が信じていることとは。

取材/構成/文 石川 彩
インタビュー
刺激を受け続けたアメリカでの日々

 渡米当初は言葉の壁に直面し、日本に帰りたいと思ったこともありました。でも、次第に英語にも、チームにも、そしてアメリカの生活にも慣れてくると、アメリカという国は案外「居心地がいいんだな」と感じられるようになっていきました。チームにはいろんな国の選手がいますから、食事をしながら、お互いの国の文化や自分の幼いころのことなどを語り合って、交流を深めていましたよ。時々、パーティーなんかも開かれて、そんなときにどんどん友達の輪が広がっていくんです。

 普段はそうして楽しく語り合っているんですが、いざサッカーのこととなると、チームメイトといっても意見がぶつかり合うことはめずらしくなかったですね。話しているうちに、だんだんヒートアップしてくるんです。そんな光景を目にしたとき、初めは何も言葉が出ませんでした。意見を求められて、自信なく「Yes, maybe...」などと答えようものなら、答えは「Yes」か「No」のどちらかしかないと言われるんです。日本人の「あいまいな表現」で事を丸く収めようなんてことは通用しないんです。お互いが納得いくまで話し合って、相手の主張が正しいと思えれば、そこでやっと話し合いが終わるんです。お互いに本音をぶつけ合って、しこりを残さない姿勢が、カッコイイと思いましたね。

 渡米して良かったと思うことは、やはり海外の様々な国、たとえばアメリカ、ドイツ、カナダなどの代表選手と一緒にプレーできたことです。それにしても、海外の選手って日本人とは身体能力が違うんですよね。身体も大きいし、足も長いから、私の2、3歩が1歩分ぐらいなんです。だから、走るとスピードが全然違う。たとえ目測を誤ってボールから多少ずれても、ちょっと走れば追いつけちゃうんですよね。足をちょっと伸ばせば、ボールに届いちゃうんですから。到底、かなわないですよ。そんななかでも、私は私らしいプレーもできたし、他の選手をいかすこともできていたと思います。

夢は見るものでなく、かなえるもの

 そんな恵まれた環境ですから、1日でも長くプレーしていたかった。でも、プロ・リーグが休止となって、帰国することになってしまったんです。2004年のことでした。帰国後は日テレ・ベレーザに復帰しました。ちょうどその年はアテネオリンピックがありましたが、私は本選出場をかけた試合直前に大けがをしてしまいました。それでも予選に出場し、最多得点を挙げることができました。だって、負けたらオリンピックには出られないのですから…。もちろん、プレッシャーはありましたよ。

 振り返ってみれば、14歳で代表入りして、「ベテラン選手と一緒に試合に出たい」という夢を抱いてからというもの、オリンピックには2回出場。ワールドカップのエキシビションにも出場し、アメリカでプレーもできました。いつも目標と夢を持って、キツ練習にも耐えてきました。今はキツくても、これを乗り越えれば、きっと自分にしか味わえない達成感があると信じて、がんばれたんです。そうして、実際に夢は次々と実現できてきました。もちろん、いくらがんばっても結果がついてこないことだってありました。でも、そんなときには、自分に何かが足りないんだと自覚して、それを埋めようと努力しましたよね。だって、一度しかない人生ですから、やらずに後悔したくないでしょう。まずはチャレンジしてみて、それでもダメだったら、仕方ない。そう思ってきたんです。だって、夢はかなえるものなんですから。

 次の目標?それは2008年の北京オリンピックですね。前回以上の結果は残したいと思っています。あと2年という限られた時間ですが、自分に足りない部分をさらに強化して、努力を重ねていきたいと思っていますよ。

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プロフィール
澤穂希 澤穂希(さわ・ほまれ)

1978年9月6日東京生まれ。日テレ・ベレーザ所属。5歳のころ、兄が所属するサッカーチームでコーチに勧められてゴールを決めたことで、サッカーに興味を持つ。中学入学と同時に読売ベレーザ(現・日テレ・ベレーザ)に入団し、14歳で代表入り。高校在学中の96年にアトランタオリンピックに出場。99年渡米。セミ・プロリーグの「コロラド・ラッシュ」、プロ・リーグ「アトランタ・ビート」に在籍。2004年帰国し、日テレ・ベレーザに復帰。同年アテネオリンピック出場。2005年5月女子代表最多となる通算52ゴール目を記録。7月 L・リーグ通算得点ランクトップとなる105ゴール目を記録。ベストイレブン5回、敢闘賞2回、アシスト王1回、2004年アジアサッカー連盟年間最優秀女子選手。


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