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HOME > 英語とアスリート達 > vol.10-2 松田秀士

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Athletes and English 英語とアスリート達

Hideshi Matsuda 松田秀士
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vol.10-2 | vol.10-1(前回の記事)

99年のインディ500では、マシンも十分な仕上がりを見せ、松田の気力も充実していた。優勝が狙えるかも、悪くても表彰台には、周りもそう思う快走を松田は見せた。だが、ピットとの連絡ミスが原因で、最下位まで順位を落とすことになる。レース終了後に松田が思ったのは「英語ができれば」だった。

取材/構成/文 恩田ひさとし
インタビュー
初めて使った通訳
 99年、インディ500では最後のレースになりましたけど、このときですね、「英語ができれば…」と思ったのが。この年は車のセッティングもうまくいって、予選10位、レース前のフリー走行で5位のタイムが出ました。決勝では「よーいドン」でスタートして、名だたるドライバーを交わして、6位までジャンプアップしました。「勝てる」、そう思えたほど、車も自分も調子がよかったんです。
 この年日本人の学生でしたけど、ピットとの交信に初めて通訳を使うことになりました。お金がなかったので、古い車、通訳なしでずっとインディ500に参戦していました。でも、この年だけ通訳を使うことになったんです。レース経験のない子でしたが、勘もいいし、頭もいい。ある時点までは問題なく通訳の仕事をこなしてくれていました。
悪夢の連絡ミス

 周回を重ねて、そろそろ燃料を入れるためにピットに入らなければならないころ、無線からチーフエンジニアの「ピット…」と言った声が聞こえたんです。でもこのときピットからの指示は通訳を通すことになっていたので、そのまま走り続けたんです。そして4コーナーを360キロで走っていたときに「松田さん、ピットに入ってください」と、通訳から無線で指示があったんです。ピットの入り口は4コーナーにありますから、いきなり言われても入れないんですよ。
 それでもう1周走らざるを得なくなりました。この周回だけでも持ってくれという気持ちでした。でも1コーナーで燃料が切れちゃったんですよ。コーナーでも360キロとかで走るレースなので、燃料がなくなったからといって急に止まることはありません。惰性でけっこう走れるものなのですが、3コーナーで車が止まって…。
 ピットまで主催者の車が牽引してくれて、燃料を入れられたので、リタイアにはならなかったのですが、この間、4周も遅れてしまったんですよ。
 当然、順位は最下位まで転落。これで完全にキレまして、前を走る車を追いかけまくりました。4周も遅れているのですから、周回遅れもいいところです。でも、そのレースで優勝したケニー・ブラックとバトルをして抜いたり、前を走る車を抜きに抜いて、ゴールしたときは10位でした。
 ゴールして思ったのが、「英語ができれば…」「ピットと直接連絡を取っていれば…」、それだけですよ。最後まで集中して走れたレースでしたから、優勝できたかもしれない、表彰台には上がれたかもしれない。「たら・れば」の話になりますけど、このときのことは今でも夢に見ますよ。
  しかし、あのようなレースができたのも、僕をドライバーとして誘ってくれたチーム関係者がいたから、古いクルマを不眠不休で仕上げてくれたメカニックの努力があったから、言葉のことをあれこれ考えずレースに集中できたのも通訳がいたからなんですよね。当時のスタッフには感謝しています。一生懸命支えてくれたことも、はっきりと覚えています。
  スタッフみんなの情熱を感じていたから、表彰台に立ちたかった、優勝したかったという思いが、忘れることのできないレースになったんでしょうね。

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取材後記
松田さんといえば知る人ぞ知るビートたけしさんの元運転手。伝説の深夜放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」放送開始間もないころを知る生き証人。インタビュー中には、今も語り継がれる「風雲たけし城」の名プロデューサー桂さんの侠気(おとこぎ)あふれる話や、たけし軍団メンバーのこと、若き日の鶴太郎さん…と「オールナイトニッポン」と青春を過ごしてきた世代にとっては、何時間あっても足りないほど貴重なお話をお聞きすることができました。紹介したかったのですが、こちらの内容は機会があったらまたということで…。

プロフィール
松田秀士 松田秀士(まつだ・ひでし)

51歳。26歳で上京し、義兄ビートたけしの運転手兼付き人に転身。83年に鈴鹿ビッグ2&4シビックレース、84年にF3参戦。第3戦・富士で優勝。85年にはF2(後にF3000)と、国内最高峰のフォーミュラカーのレースをはじめ、グループC、グループA、全日本GT選手権でも活躍。国外でも92年にデイトナ24時間レース、92・01年にはルマン24時間レースにも参戦。そして、94年からは日本人二人目のドライバーとしてインディ500マイルレースに参戦し、96年には当時日本人最高順位の8位となる。51歳になった現在も全日本GT選手権のドライバーとして活躍中。
http://www.matsuda-hideshi.com/

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