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HOME > 英語とアスリート達 > vol.15-1 山本美憂

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Athletes and English 英語とアスリート達
山本美憂 山本美憂
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vol.15-1vol.15-2(続きはこちら)

 1972年のミュンヘン五輪代表選手だった父をコーチに、小学生のころから始めたレスリング。中学生ですでに全日本女子レスリング選手権を制して、4連覇を果たし、17歳で初めて出場した世界選手権では史上最年少で優勝。世界の頂点に三度立った。その後、2004年のアテネ五輪でレスリングが正式種目になったことを受け、一度は引退した世界に再び戻り、五輪出場の夢に果敢に挑んだ。残念ながら選考会では3位となり、夢は果たせずに現役を引退することに。女子レスリング界のパイオニアとして、山本美憂が挑んできたのはどんな壁だったのか。

取材/構成/文  石川   彩
撮影  出町公宏
インタビュー
やるからには世界を目指したい
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 自分では満足して引退したものの、今でもレスリングの試合を見ると、自分で再びマットに上がりたいと思ってしまうんです。もちろん、現役復帰はありませんが、それだけレスリングが自分の身体に染みついているんですなにせ、レスリングで五輪代表選手だった父からまず私が指導を受け、弟も妹もレスリングの世界に入った。家族みんながレスリングを身近に感じられる環境で育ってきたんですよね。小学生の時に始めたのですが、始めるからには世界で勝負したい、という気持ちが最初からありました。そして、いつかは父のように五輪に出場したいと思っていました。

 13歳で初めて全日本選手権で優勝してからは、すぐにも世界に挑戦したかったのですが、年齢制限という現実的な壁があり、出場できずにいました。それで、ひたすら待ち続けて、ようやく17歳で世界選手権に出場し、優勝してしまったんです。うれしかったのはもちろんですが、ずっと目標にしてきた世界選手権という舞台で、いきなり頂点に立ってしまったのですから、これからどうすればいいんだろうと、急に力が抜けてしまいましたね。

自分の意思で決めたアメリカ留学

 そんなとき、世界選手権の1回戦で対戦したアメリカの選手と仲良くなり、その子の自宅にホームステイしながら、アメリカの高校に留学してレスリングに打ち込んでみてはどうだろう、という話になり、留学を決意しました。私は行きたいと思ったらもう一直線で、思いつきで行動するタイプ。親にも相談せずに先に自分で留学先を決めてしまって……。そして、すべて準備が整ったところで、父に相談したんです(笑)。もちろん、父は初め、反対でした。留学そのものは父も経験しているので、留学がプラスになるとわかっているのですが、「何もそんなに焦っていかなくても」と。「高校を卒業してからでもいいのでは?」と言われました。でも、私はどうしても今、行きたかった。「17年間毎日同じリズムで生きてきたから、ここで少し違うリズムで生活してみたい」と、本音をぶつけてみたんです。そうして話し合いながら、結局は許してもらい、アメリカ・アリゾナ州立大学の語学学校への留学が決まりました。

あまりの楽しさに弟を呼び寄せた
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 渡米したばかりのころは、言葉の面で不自由もしましたが、それでも、高校でレスリング部に入部したので友達がすぐにでき、楽しい学校生活が始まりました。日本人は周りにだれもいない環境で、女子部員は私だけ。留学生ということもあって物珍しさもあったんでしょうね。みんな優しいんです。勉強でわからないことがあれば、部の仲間たちが助けてくれました。「レスリング」という共通のくくりがあったから、会話も弾むんです。放課後や部活のないときは、いつも友達と集まっては話していました。留学するにあたり、私は「せっかく留学するのだから、日本での生活では得られない経験をしたい」と強く思っていました。でも、あせりは禁物。いつも自然体でいるように心がけていました。

 そんなアメリカでの生活はあまりに楽しくて、レスリングと学業の両立で日本の高校で窮屈な思いをしている弟にも、ぜひ同じ経験をさせてあげたいと両親を説得し、呼び寄せてしまいました。弟の留学先は同じアリゾナ州でもメキシコに近い地域でしたが、高校の対抗戦で顔を合わせることもよくありましたね。弟は留学してから、体格の大きいアメリカ人と対するためにもウェイトトレーニングに励んで体をつくるようになり、めきめきと力をつけていきました。そして、高校生のうちに州大会でチャンピオンになったほどですから。

負けても、すべては変わらない
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 アメリカにいるころは、毎週のようにレスリングの試合がありました。それまで私は父とマンツーマンでレスリングをやってきたので、初めてチームで一丸となって試合に挑むということの楽しさを知りました。初めての女子部員にコーチも戸惑いながらも、女子だから、留学生だからと特別視はせずに、男子部員たちと平等に扱ってくれたのがうれしかったですね。

 ある日の試合で、私は1ラウンド、2ラウンド共に負けてしまい、もう後がないところまで追い込まれていました。日本では負けたことのない私でしたから、負けた自分を受け入れられず、その時はもう半ベソ状態!

 でも、コーチの「絶対に次のラウンドは勝てる」という言葉を信じて、次のラウンドに挑んだら、なんと逆転勝ちしたんです。試合後、コーチに言われました。「勝つときもあれば、負けるときもあるんだ。そこからどうするかが大切なのだ」と。「たとえ負けたとしても、周りにあるすべてのものは何も変わらない。一晩寝て起きれば、ベッドはそこにあるし、ペットの猫もそこにいる。すべて昨日と同じだ」。その言葉を聞いて、肩の力がすっと抜けていくのを感じました。気持ちが楽になれたんです。日本のスポーツ界には、勝つことが当たり前で負けは認められない空気があるんです。強くなっていくとなおさらその空気は厳しく感じられます。でも、アメリカでは違った。レスリングに対する姿勢、物の考え方が、コーチによって変わった瞬間でしたね。私にとって、コーチとの出会いは本当に大きなものでした。

〜to be continued〜
プロフィール
山本美憂

山本美憂(やまもと・みゆう)

元女子レスリング世界チャンピオン。1974年生まれ。神奈川県出身。ミュンヘン五輪レスリング代表の山本郁栄を父に持ち、小学2年生からレスリングを始める。13歳で全日本選手権を制し、その後4連覇。17歳で世界選手権に初出場し、史上最年少優勝を果たす。結婚して一児の母となり、一度は現役を引退するも、アテネ五輪出場をかけ、2002年現役復帰。代表選考会で3位に終わり、五輪出場権を逃す。04年正式に現役を引退。スポーツコメンテーターとして、レスリング普及のため、メディア等で幅広く活躍。06年8月アルペンスキーヤーの佐々木明と結婚。弟は格闘家の山本“KID”徳郁、妹は元レスリング選手の山本聖子。

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