英語を学ぶ、覚える、モノにする

100万人の英語

今週のおすすめページ サイトマップ

メルマガ購読

広告掲載について


HOME > 英語とアスリート達 > vol.11-1 ヒロ松下

*
Athletes and English 英語とアスリート達

Hiro Matsushita ヒロ松下
*
vol.11-1vol.11-2(続きはこちら)

自動車大国として日本が確固たる地位を築き上げ、F1ではホンダエンジンが無敵の快進撃を続けた1980年代。クルマやエンジンは国際舞台で活躍しているのに、日本人ドライバーは……、歯がゆい思いをしていたレースファンも多かった。その時代、アメリカという大きな舞台に光を浴びせたドライバーがいた。ヒロ松下である。

取材/文 恩田ひさとし
インタビュー
アメリカを選んだ理由

 日本では10代前半から二輪のレースをしていました。18歳のときにラリーを中心に四輪レースを始め、20歳くらいからはロードレースも始めました。二輪の時代から「海外でレースをしてみたい」とは思っていたのですが、現実となったのは25歳のときです。
 当時は日本人ドライバーが海外に出始めた時期で、中嶋さんがF1に参戦した影響もあったと思いますが、多くのドライバーはヨーロッパへ向かいました。

 当時のトレンドに反してなぜアメリカなのかというと、二輪のライダーたちの影響です。彼らはマニュアルに縛られることもなく、自由な発想でライディングをしていました。それが魅力的だったし、興味を感じました。アメリカにレースの場を求めたのは、二輪でこんなにおもしろい人間がいる、だから四輪でもきっとそうだろう、と考えたからです。
 もし、二輪の経験がなく、アメリカ人ライダーの走りを目にすることがなければ、アメリカではなく、ヨーロッパを選択していたと思います。それだけアメリカ人ライダーの印象が強烈に映っていたのです。

アメリカへ、そしてインディーへ
 スタートはフォーミュラフォードです。1986年、25歳のときでした。
 1600cc、120馬力のエンジンを積んだ小さなフォーミュラカーのレースでした。カテゴリ的には下でしたけど、上を目指す若手のギラギラしているドライバーが集まるクラスです。
 88年から、フォーミュラアトランティックに参戦しました。日本のF3をイメージしてもらうとわかりやすいでしょう。88年は3位でシーズンを終了しました。翌89年もフォーミュラアトランティックにエントリーしましたが、アメリカに渡ったときから「30歳までにトップカテゴリのクルマに乗れなかったら、職業としてのレースは辞めよう」との思いがああったため、男としてけじめをつけるシーズンにとの気持ちで、開幕を迎えることとなりました。
 幸いなことに、シリーズチャンピオンになれ、翌年から晴れて、インディーへの参戦へとなったわけです。
英語をもっと勉強しておけばよかった
 渡米したばかりのころ思ったのが、「もう少し英語を勉強してくればよかった」でしたね。
 アメリカには、レースの場の拠点にするまで、何度かいってましたので、買い物やレストランでの食事には困らない程度の会話力はあったと思います。でも、それだけだったんです。
 恥ずかしい話、アメリカ行きが決定してから日本で英語を勉強するようなこともありませんでした。ぶっつけでアメリカに行って、現地に着いてから自分なりに勉強を始めたのです。
 知らない言葉はたくさんありますから、それを解消するために、単語から覚えました。最初に取り組んだのが自分の仕事で使う単語や表現の習得でした。辞書を引いたり、本を読んだりという具合です。
 レースに関する単語は日本もアメリカも変わりません。クルマのパーツの名称はほとんどが英語ですから、発音の違いがあるくらいで、70%の部分は問題はありませんでした。残り30%は、アメリカ独特の言い回しがあるので、それの意味を聞いてメモをとって覚えたりしました。
 レーサーの場合、メカニックに「クルマに今こういう症状が出ているから直して欲しい」ときちんと伝えることができないと、速く走れるクルマには仕上りません。英語ができるかどうかと言い訳をする前に、伝えることができないとダメなんです。伝えなければならないって状況に置かれているから、まじめに、そして真剣に英語を吸収できたのだろうと思っています。
寂しかったチームクルーとの食事
 最初に乗ったフォーミュラフォードはスタッフ4、5人のこぢんまりとした、アットホームなチームなんです。だから、すぐにスタッフとは仲良くなれました。
 レースが終わった後に食事に出かけるのですが、レースのことだったら何とかわかるのですが、それ以外の話題になると、わからなくなってしまう。一人置いてきぼりにされた感じで寂しかったというか、輪の中に入れないでつまらなかったというか、そのような記憶はありますね。
 アメリカに行って半年くらいしてから、チームクルーと食事をしていても、きちんとコミュニケーションがとれている自分がいました。気がついたら輪の中に入れていたという感じです。何かをきっかけに、英語がわかるようになったという覚えはありません。気がついたら、いつの間にか、相手の言っていることがわかるし、自分も言いたいことが伝えられているようになっていたということです。
 コミュニケーションがとれるようになる課程は人それぞれだと思います。ある日突然聞き取れるようになるという話も聞いたことがありますが、わたしの場合には、「気がついたら…」というのが正直な話になります。
〜to be continued〜
プロフィール
ヒロ松下

ヒロ松下(ひろ・松下)

本名松下弘幸(松下弘幸)。45歳。日本人初のインディーカードライバーとして、1990年から9年もの間、トップドライバーとして活動を続け、その後日本人ドライバーがアメリカで活躍する道を切り開く。現在、日本では株式会社パシフィックマーケティング会長として、アメリカではスィフト・エンジニアリングの会長として、ビジネスシーンにおいても活躍を続ける。

Hiro Matsushita Homepage


リストページへ ページトップへ


Magazine(連載記事)

御園和夫のおもてなし英語
[週刊!]実践英語のツボ
今週のことわざクイズ
World Englishes!
グローバル企業と英語
今週のググる♪
イベント・セミナー情報

英語学習のヒントを探れ

CASECガイド
英語学習ガイド

英検ガイド・英検対策

英検ガイド
英検合格体験記

Archive(アーカイブ)

御園和夫の会話に役立つ英単語
御園和夫の英語面白楽習
英語とアスリート達
英語で作ろう!本格和食
にっぽん解体新書[投稿]
ひと言ビジネス英会話
御園和夫の異文化英語